おかきズム

元ニコ動実況者(断じて有名でない)が、社会人になってブログ。グッズレビュー、アート、映画書評を書いてます。

アート漫談#1 現代アートは過小評価されてる!〜シン・現代アート宣言〜

どうも、おかきです。

 

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自由にアートについて語る、「アート漫談」のコーナーです。
このコーナーでは、最近のアートニュースから、アートに関する個人的な素人論について語っていきたいと思います。

 

今回、かなりふわっとしていますが、
現代アートに対する世間的な評価」について話したいと思います。 

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1. 古典アートばかり追い過ぎていないか?

21世紀に入って20年経った現代。
移動や食べ物に困らない時代、あらゆる情報がネット経由で得られる時代。

ただそんな便利に進化した時代にも関わらず、よく「アート」と言われる場合、
「古典的なアート」ばかり持ち上げられていないでしょうか?


よく駅の広告で見るのは、ルネサンス期の宗教画、印象派の風景画、国宝級の日本芸術、、、などなど、評論家、歴史家、その他公的機関などに「お墨付き」をもらったものたち。何も近世以前に限らず、ピカソやウォーホルも、アートの立派な大家、その一員と考えて差し支えないでしょう。

 


ただ一方で、現代アート

こちらも、いろんな展示会は実施されています。。。が、そこまで展示会に入場者を見込めないこともあってか、少し控えめ。どこか脇に追いやられている感が否めません。

それもそのはず、現代アートは、ひと目見てすぐ分かるような、綺麗な肖像画や風景画ではないからです。その表現や解釈の複雑さ故に、「万人受け」とはいかないのです。そして、その難解さが、世間的な評価を押し下げ、どこか「変わったもの」とされてしまっています。



ただ、本当にそれでいいのでしょうか?

ほとんどの分野で、我々現代人は、常に新しい情報や技術を追いかけています。それではなぜアートではそうではないのでしょうか?

無論、一昔の常右肩上がりの社会進化論的な論法を展開するつもりはありませんし、また時代を超えて評価されるアートを否定するつもりはありません。ただ、古典的アート偏重気味のアート現状は、ただの「懐古趣味」としか言えないところがあります。

 

 

 

2. 現代アートで、新しい感覚・発見を求めよう


現代アートが、なぜよくわからないモノなのか?
それは、現代アート「新しい感覚・刺激を希求するモノ」だからです。


かつてのアートは、いかに美しく描くか、いかに描くかに終始していました。
ルネサンス期の宗教画。豪華なバロック絵画。既存のアートに対抗して誕生した印象派キュビズム、戦後の抽象表現主義ミニマリズムポップアート、、、長いアート史の中で、様々なアートが実践されました。そして、ポストモダンの現代。既に大抵のことは全てやり尽くされてしまいました。


というわけで、昔のアート作品と同じ道を進んでも仕方ない!というのが現代アートなのです。あらゆる現代アートが、意識するしないに関わらず、この思いを根幹にしています。

ホルマリン漬けの動物や、太陽光が差し込む巨大な建造物などを見て、「現代アートって、よく分からん!」という反発は、まさに現代アーティスト達による、「新しい」試みの結果なのです。


無論、作品の中には思想、政治課題や、自身の個性を取り上げる作品もあり、「感覚」だけが全てではありません。ただ、今この時代にそれらを作品を通じて問いかける・表現するという意味では、「超多元主義」という現代らしさを象徴するという点で、新しい表現・刺激と言えるでしょう。

 


 

3. 好きなアートは、私が決める。勇気の一歩を 

現代アートのいい点を加えるとするならば、
それは作品の評価を「鑑賞者」に評価を委ねている所があるからです。


旧来のアートは、いかに現実世界を忠実に描くか、の真髄を極めたものです。それに加え、数千年にも続く連綿たる歴史が、作品評価にバックボーンを与えています。どこか「これが王道です」と、一切の隙を与えてくれない威圧感があります。本屋に行けば、分厚い数々の本が隙間なく陳列されているので、それがすぐ分かります。


一方、現代アートは、常に新しい感覚・刺激を与えるモノです。画一性というのを忌み嫌い、常に多様で新しいモノです。しかもそれらは、同じ「今」を生きているアーティストによる、その試みの結晶です。なので、旧来のアートと違い、今生きている我々に直で届けてくれるアートなのです。

現代アートには、連綿たる過去の歴史がありません。アート作品自身が、アート史を参照することもありますが、それは、多元主義の今誕生したアート。画一化・様式化したアートではありません。今という時代にアーティストが「あえて」それを選択したという点で、そもそもの意味合いが違うのです。
また、アーティスト自身も、積極的に作品を通じて、自身の意図を伝えないこともままあり、積極的にこちらから解釈する余地があるのです。(それは同時に鑑賞者側の能動性を求められているとも言えますが)

 

 

ただこういった事情を踏まえると、「鑑賞者自身に、それを受け止めるだけの知識量が必要ではないか?」という疑問が出ます。


大丈夫です、私も全部理解できていませんから。 

 

私も勉強は多少しましたが、所詮素人。。。。
ただ、全てを理解し尽くすことは、専門家でも困難です。それも当然、先にも述べたとおり、解釈の余地を広く与えているからです。

アート史を知っていた方がいいのはいいですが、それ以上に、現代社会を知っていれば、十分楽しめます。後は、アートのルールを知る、、、とかそういったレベルです。あと、そもそも、アート作品の中には、アーティスト自身の「個性」を表現していたりするので、アート史を勉強したところでわからないものもあります。


なので、現代アート作品と向き合うこと、それが一番大事だと思います。

 

 

 

 


是非こういった現代アート達との出会いを増やしてほしいと考えています。
新しい刺激・感覚と出会い、それらについて思索を深めることで、生活がかなり豊かになると考えています。

正直これだけ言っておいて、認めたくない事実ですが、現代アートの展示会は総じて「安価」です。「万人受け」というのはないので、展示会に行っても、行ってよかったと言える、確実な保証はありませんが、もし安価で恵まれた出会いがあれば、ラッキー!と言えるでしょう。

 
今こそ王道のアートばかり求めずに、より感動や刺激のあるアートこそ求められるべきではないのでしょうか?

 

現代アートは、今生きている「現代」の「我々」のアートです。

 

 

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今回の記事は、これで以上です。

 

 

歴史的価値あるアート作品を全否定するつもりはありません。
長い月日の歴史の荒波を乗り越えてきたからには、それなりの魅力と感動があるのであって、もし見る機会があるのであれば、積極的に見に行くべきでしょう。現に私も昨年2月のカラヴァッジョ展で見た「リュート弾き」の肌の艶やかさには、感動を覚えました。

ただ、そこにあるのは、幾層にも積み重なった過去の歴史です。かつての偉人の立派な肖像画を見て、美しいと感動するかもしれませんが、「今を生きる我々」に問いかけるものはありません。


より新しい刺激・感動のためにも、今という時代を共にする現代のアート作品、現代のアーティストたちと向き合おうではありませんか。この記事で、少しでも現代アートに興味を持ってくれれば幸いです。

ではでは。

P.S. 気合入れすぎて3000字近くになってしまった、、、もう少し短くします。

 

2020.5.31 Sun 9PM 

 

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