おかきズム

元ニコ動実況者(断じて有名でない)が、社会人になってブログ。グッズレビュー、アート、映画書評を書いてます。

アート漫談#2: 現代アートがわからない、そんな人たちに理解してほしい3つのこと。

今週のお題「外のことがわからない」

 

どうも、おかきです。

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現代アートがわからない。

 

これが「今のアート」に対して、よく囁かれる声だと思います。
色々ありすぎて分からない。何が言いたいのか分からない。そんなところだと思います。

 

 

 

ただ、本題に至るまでに一つ言わせてほしい。

 

 

私も、現代アートが分からん。

 

現代アート展に積極的に何度も足を運んでいる私ですが、行けば行くほど分からない。あまりにも膨大で、過剰で、多面的、それが現代アートの世界。

本当にこれには価値があるのか?どこか不安になる時があります。

 

 

ただとはいえ、数々の展示会に赴き、書籍を通読してきました。
今回それらの経験を元に、現代アートについて理解してほしい3つのことについて、素人なりの見解を伝えたいと思います。


ここで「現代アートとは何か?」という定義・概念を伝えるつもりはありません。あくまで何を理解・意識すべきか?が大事と思いますので、よかったら読んでください。


 

 

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1. マルセル = デュシャン『泉』(1917):  最大のアート革命


まず1つ目に、現代アート史に残る『作品』を1つ紹介したいと思います。

 
どの程度、その作品がすごいのか?

イギリスのターナー賞という芸術賞があるのですが、2004年 それと合わせてアーティスト500名に「最も強い影響力を持った20世紀のアート作品」でアンケート(複数作品投票あり?)をとったところ、なんと圧倒的得票率64%で1位をとった驚異の作品です。

 

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マルセル=デュシャン『泉』(作:おかき)
 

が、その見た目は、ただの小便器です。

何と便器メーカーから購入した小便器に、サインを書いて、向きを変更しただけ。
そのまま展示会に出そうとしたという、トンデモ作品です。ただ、適当な場所に置いておくだけならまだしも、それを「アート」と主張して出展しようとしたのです。(しかもデュシャン自身はアート協会の理事メンバーだった)

結局、展示されることはなかったのですが、「作品」そのものというより、「事件」で有名になった作品です。 


この作品を知って、何の意味があるのか?
それは、今後のアートの展開に以下の2つの影響を残したとされているからです。

 

 

1-①: 結果、今のアートは「なんでもあり」に。

 
印象派、世紀末絵画、キュビズムなど、アートの表現・考えが、徐々に変化した時代ですが、ここに来て「ただの便器」の登場。今までの「絵画」「職人技」の世界から、アートの概念が根底から覆りました。

そもそも、印象派キュビズムなど、様々なグループがありましたが、それらは所詮無数のアート表現・思想のone of them。この『泉』以降、アートは、絵画の枠を飛び出し、インスタレーション、パフォーマンスなど様々な形態に拡大していくことになります。

 

 

1-②: アートのコンセプチュアル化:作品から読み取る想像力

またこの「泉」以降、鑑賞者の想像力を必要とするアートが増加しました。

まだ当時は1917年ということもあり、その後もキュビズムなどの「表現方法」を重視する流派が隆盛しますが、徐々に、アーティストの「考え」を作品に乗せて表現する「コンセプチュアル化」など、今に見られるアートの世界が誕生したのです。

 

 

 

 

決して、この作品『泉』をあがめよ、という訳ではありません。現代アートの今の状況を作り出した、このアートの「事件性」を知っているかが、大事なのです。


現代のアート世界は、アーティスト本人のう●こ(本物?)を詰め込んだ瓶も、アートになる時代です。
現代アートに向き合うには、とにかく「寛容」になること。その上で、「なぜこの作品がアートたりうるのか?」「この作品で作者が何を言いたいのか?」それらを思い巡らせばいいのです。特に、能動的に読み取る「想像力」が、鑑賞者に求められるのです。
 


これらを知ってもらうために、まずこの「泉」という作品を紹介しました。

 

 

2. 現代は、超多元主義の時代

現代アートというからには、「現代」の特徴を反映していると言えます。
色々ありますが、あらゆるアートについて言えることを挙げると、多元主義の下にあるということでしょう。

古くは民主主義・大衆社会の到来からスタート。そして戦後から、個の時代、価値観の多様化、そして20世紀末あたりから、グローバリズム、IT革命の波が押し寄せます。そして今、ありとあらゆるジャンル、トピック、表現方法のアート作品が並立、そして無尽蔵に存在する時代となりました。まさに「超多元主義」の時代と言えるでしょう。

 

難しい表現となりましたが、結果どうなったかをわかりやすく言うと、様々な価値観が乱立することになった結果、かつてのような単一のピラミッド状のヒエラルキーは存在しないということです。 

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作品を見て、考えもせずに「このアートにどれほど価値があるのか?」という感覚に陥りますが、そもそもその考え自体、1つの物差しでしか作品を考えていないことが多いです。


確かに、デミアン=ハースト、草間彌生など、現代にも世界的に認められる人々がいるのは事実です。ただ、現代アートの世界では、あくまで数ある表現の1つに過ぎません。世間的な評価がそこに付与されてるだけで、根本的な「優劣」は存在せず、広大なアートワールドに、ある「位置」を占めるだけなのです。

 

 

なので、まず最初に作品が何を表現しているのか?何を問題にしているのか?、というところに耳を傾け、理解してあげなければいけません。つまり、アートとの「対話」です。

 


とはいえ、やっぱり何これ?という作品はあります。

先ほど述べた通り、ジャンルは膨大にあるので、人によって刺さる、刺さらないはありますし、アーティスト側の補助線があまりにもなさ過ぎて、理解できない場合もあります。また、個性の問題という、かなりパーソナルなアート作品もあり、「え、何?」みたいなことが起こります。



私の場合、いつも「スルー」します。こういう場合、自分自身のアート・センサーの感度が甘いのが原因なのですが、アートの世界は広大です。全てのアート作品に価値があると信じるのはいいですが、素直にあきらめることも肝心です。分からないものは分からない。読書と同じです。あと、展示会内で本当に気に入ったアートにこそ時間を割くことの方が大事だと思いますので、ここは仕方ないと考え、潔く立ち去ることにしています。

 


それでは最後に、より良く理解していくための手段を紹介しましょう。

 

 

 

3. 現代社会と現代史:「過去」よりも「今」をよりよく知る。


地味なタイトルですが、
結構大事です。

現代と書きましたが、文字通り現代。今私たちが生きている世界そのものです。


前項の「多元主義」といい、現代アートの世界は、現代の社会を根っこにしているのです。グローバル化により、人と文化の交流が盛んになり多文化的なる一方、国際競争が激化し、変化の速さ・激しさが、コントロールができないほどになっている。また、技術の進化により、デジタル・インターネットがより身近になってきており、生活が「二次元的」になっていく。。。。人それぞれなので、それが学校の中でも、家庭の中でも構いません。

 

今を生きる現代アートだからこそ、こういった「現代人的な感性」が必要なのです

 

 

特に現代が抱える「問題」については、より理解しているといいでしょう。平和、難民、貧困、南北格差、人権問題、地球環境問題、何もグローバルな問題だけでなく、政治課題、経済格差、地方衰退、更には個人のアイデンティティーなど、ありとあらゆる問題です。


全てのアート作品がそうだとは言えませんが、現代アート作品は、現代の問題を取り上げることが多いです。たとえそれが「個人」の問題であったにせよ、同じ時代を共有しているというのが、より理解に磨きをかけてくれるのです。

 

 

当然、現代の世界を知るにあたって、多少は「歴史」を知る必要はあるにはある。
ただ本当に必要なのは、私個人の感覚でいうと、世界大戦とそれ以降だけでいいと考えています。

 

近代化、都市社会、技術の進歩、合理主義、そして20世紀最大の狂気、

これら歴史的経緯を知らずして、近代(モダン)の先、ポストモダンの現代が、なぜ生き詰まっているのか?、なぜ先行きが見えないのか?、理解することは到底できないでしょう。(もうポストモダンという言葉自体、埃かぶっている感も否めませんが)。それに比べれば、ルネサンス期など古い時代の大家や作品名の暗記、それにまつわるウンチクは、あまり意味はない、、、と思います。

 

 

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一方、現代アート作品には、アート史の参照というのが度々行われます。
過去の作品そのものや、表現方法をオマージュすることがあり、世界的日本人アーティスト、村上隆先生の著書でも、この「参照」こそが必要だ!、強く主張されています。


確かに、アート史・アート作品について理解・造詣が深ければ深いほど、現代アート作品の背後に眠るメッセージを読み取る「感度」が上がるのは事実です。普通なら気づかないことも、知識があるから気付ける。真にアートを理解するためには、必須要件だったりします。そのため、私自身も、食わず嫌いせず、色々なアート展に行くようにします。

 

ただ、根本の「軸」となる感性については、まず現代をより良く知るということで養われます。そこを踏み外してしまうと、何を問題にしているかすら、分からなくなってしまいます。過去のアート史の勉強は、センサーの「感度上げ」にはいいですが、そもそもアート作品の「補助線」が見えにくいこともあるので、過度な期待は禁物です。

 

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今回の記事は、これで以上です。 


かなり長くなってしまったので、記事を分割してしまおうかと迷ったのですが、 やはり一つの記事にまとめてしまいたいと思い、このような記事になりました。

現代アートだからこそ」のエッセンスをふんだんに詰め込んだつもりです。正直まだまだ語り足りず、理解してほしいことを、6つ、7つにしてやろうかとも思ったほどですが、何とか凝縮することができました。

是非、この記事がアート鑑賞の参考になってもらえればと思います。
そして、現代アートにより興味を持ってもらえれば、なお嬉しいです。


ではでは。
以降は、もう少し短い漫談を載せようと思います。

 

2020.6.14 Sun 9PM

 

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